到来顛末記1999.9.29

■北川芳野(能)(雅楽能)先生の五線譜の楽譜

私が、19才より36才まで習いました恩師・北川雅楽能先生が書き残されました、千冊に及ぶ手書きの五線譜の箏譜と、「箏のかがみ」「琴曲楽譜」等の箏譜約250冊・レコード・十七絃が、ご遺族の意志の元で、私の手元に8月1日突然やってきました。
すごい楽譜です。古典以外に、大正・昭和の初めの頃の新日本音楽時代の曲が、手書きの五線譜で書かれ、パート譜からスコア譜まできちんとすべて書かれているのです。まるで仏経者が、経典を一生書き続けられたような量です。

多いのは宮城道雄・町田嘉章・金森高山・久本玄智・中村双葉・山川園松・中島雅楽之都等の作曲の曲ですが、40人以上の作曲者はありそうです。
北川先生作曲の曲もかなりありました。京都でいち早く宮城道雄師に東京まで習いに行かれ、帰りの電車の中で譜に書き留められ、正派を起こされるのを手伝われ、長年に渡って京都当道会の理事長をされた先生でした。

京都で初めてのショートカットヘアー、おしゃれなすらっとしたスタイルの良い素敵な先生で、お稽古の時には歌詞についてよく話したり、合奏が面白く沢山のお弟子さんが待っておられるのを忘れてしまって、合奏を続けた「八重衣」の三味線二重奏も懐かしく思い出されます。

 突然の沢山の品々に、驚きと懐かしさで涙ばかり出ていましたが、学生フェスが終わり、皆様に報告をしていくに従って、研究者の反響が大きく、余りの重要な楽譜に責任の重さも感じていました。しかし、私に全てを一任された右近先生(北川先生のご子息)のお気持ちを察し、日毎に私に語りかけてくる先生の楽譜を見ていますと、今の時代の方達には勿論ですが、長い時を超えたこの偉大な楽譜を、何百年先にも伝えられることを願って、私の力で出来る範囲で整理していきたいと思っています。
 不思議なことですが日毎に楽譜が光ってくるのです。

現在殆ど演奏されていないと思われる曲が1/3はありますが、演奏してください良い曲ですよ、と私に話しかけているようです。
 作業としてはまず、狭い我が家に置場所作りとして我が家のいらぬ荷物の主人の里への引っ越し、コピー機レンタルと楽しく準備を進め、いざ整理開始です。

1冊ずつ内容についてパソコン入力、コピー、1冊ずつ紙袋に入れ、資料整理番号等のラベル張り、それと共に各方面の方々に見ていただき、特に貴重な楽譜は別の方法の保存を考えていきます。